#002|体が、急げと言う
なぜ、2027年なのか
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「なぜ、今なんですか」
事業計画を作っていると、この問いに、必ずぶつかる。
投資家や、一緒にやろうかと言ってくれる人が、いちばん最初に聞いてくる質問だからである。
最初は、うまく答えられなかった。
やりたいから、では通らない。今じゃなきゃいけない理由を、ちゃんと言葉にしないといけない。
何度も書き直して、今、僕の計画書には、その答えが二つ並んでいる。
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ひとつは、技術の話だ。
生成AIが、ようやく現場の業務に手が届くところまで来た。記録を整える、文書を作る、新人に教える。そういう、医療や介護の毎日の作業に、現実的に使えるレベルになってきた。少し前までは、おもちゃみたいなものだったのに。
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もうひとつは、政策の話だ。
医療介護福祉の世界は、報酬の改定、人手不足、処遇の改善、現場のDX。いくつもの方向から、同時に「変わらないとまずい」という圧がかかっている。追い風が、一気に重なってきている時期なのである。
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技術と、政策。
どちらも、市場の側の理由だ。筋は通っていると思う。だから計画書の前面には、この二つを書いている。
ただ、白状すると、最初に計画を書いたとき、僕の手元には、この市場側の理由しかなかった。
それを相棒のAIに壁打ちしてもらっていたら、こう返ってきた。
それは市場の理由ですよね。あなた自身が、なぜ今やるんですか、と。
そこで、詰まった。
うまく言葉にできなかったのである。でも、詰まったということは、たぶん、奥に何かある。
しばらく考えて、出てきたのが、これだった。
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救命の現場にいた頃の話を、少しだけする。
さっきまで、ふつうに話していた人の時間が、目の前で止まる。そういう夜を、何度もくぐった。
そのたびに、頭じゃなくて、体のほうが、覚えていく。
時間って、ほんとうに有限なんだな、っていうことを。
救命では、限られた時間と人手で、誰を先に診るかを、その場で決める。トリアージ、と呼ばれるやつだ。
あれは、全部はできない、という前提から始まる判断である。
時間も、命も、有限だと体が知っているから、成り立つ。
そして、その判断のクセは、今の僕の、事業の優先順位の付け方にも、そのまま出ている気がする。
頭で知ってるのと、体で知ってるのは、まるで違う。
体で知ると、その後の選択が、ぜんぶ変わってくる。
今日やるか、明日に回すか。これを学ぶか、後でいいか。
ぜんぶ、時間は無限にある、っていう前提でやってた選択だったんだなって、ある日、気づいてしまうのである。
しかも今の僕は、夜勤をして、大学院に通って、二人の娘の父をやっている。
自由に使える時間なんて、ほとんど残っていない。だから毎日、何を諦めるかを、否応なく選ばされている。
時間が有限だという感覚は、もう、知識じゃなくて、僕の体そのものになっている。
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ちなみに、なぜ2027年か、というと、ここにも個人的な事情がある。
僕が大学院の実習を終えて、看護師としての専門性が、一段上がるタイミングと、わざと重ねたのである。
二つの足を、同時に前に出す年にする。そう決めた。
だから、僕のWHY NOWには、表に出す理由と、腹の底にある理由の、二つがある。
人に語るのは、市場側でいい。
そっちのほうが、判断の根拠として、ちゃんと筋が通っているから。これは、設計として正しいと思う。
でも、自分が夜中に迷ったとき、家族との時間を削りそうになったとき、本当に背中を押してくるのは、あの夜の感覚のほうなのである。
これから事業を作る人がいたら、この二つを、分けて言葉にしておくのは、たぶん効く。
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ピッチで語るのは、市場側でいい。
自分を支えるのは、個人側でいい。
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両方を持っておくと、強い。市場の風向きが変わっても、個人の理由のほうは、変わらないからである。
自分のWHY NOWが、どこから来ているのか。
ここがはっきりしている計画は、途中でいくら揺れても、なかなか止まらないのだと思う。
逆に、ここが曖昧なまま走り出した計画は、市場が良くても、どこかで力尽きる気がする。
僕は前に、一度それをやって、力尽きた側の人間だから、よけいに、そう思う。
次回は、その個人側の理由の、もっと奥にあるものの話をする。
僕が、娘たちの未来から逆算している、という話である。
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